2010年05月15日

太平洋戦争時代の様々なウォーシップ「重巡洋艦ヒューストン」

「重巡洋艦ヒューストン」

アメリカの重巡洋艦の基本形ともいえるノーザンプトン型として建造された。太平洋海戦時には、アジア艦隊旗艦としてフィリピンに配属され、ABDA艦隊の主力として進攻してくる日本軍と戦った。

300px-USS_Houston.jpg

快速重巡洋艦の建造

20世紀初めのアメリカは、快速巡洋艦をほとんど建造しておらず、戦艦と装甲巡洋艦だけで編成されていました。この状態は第1次世界大戦が終了するまで続き、同大戦終了時には、近代巡洋艦はオマハ級10隻だけという状態でした。

この状況を変えたのが、1922年に締結されたワシントン海軍軍縮条約です。この条約で戦艦の保有数を制限された日本が、戦力の劣勢を補うため重巡の建造を始めました。その為アメリカ海軍も快速重巡の建造を開始したのです。

アメリカ海軍の重巡は、日本やイギリスと異なるコンセプトで建造されています。イギリスの重巡は植民地への長期派遣を考慮し、戦闘力よりも航続距離と居住性を重視、日本の重巡は艦隊決戦のための戦闘力、特にアメリカ戦艦への雷撃を重視していました。

これに対してアメリカの重巡は、艦隊決戦を重視する点では日本と変わりはありませんが、太平洋を渡って進行するための航続距離と日本重巡に勝てる戦闘力、そして搭載した水上偵察機による偵察力を重視していました。

軍縮条約の基づく条約型重巡建造の第2弾として、1927年度計画でノーザンプトン級6隻が建造されたが、ヒューストンはこのうちの1隻として1930年に完成しました。

アメリカ海軍は重巡の魚雷をあまり重視しておらず、むしろ誘爆の危険を危惧していたため、完成時に魚雷発射管6門を装備していたノーザンプトン級も、太平洋戦争の開戦時前には発射管を撤去しています。

ノーザンプトン級のうちでも後期型の属するヒューストンは、艦隊旗艦の設備を持っていました。このため1934年と1938年には、ルーズベルト大統領の乗艦に選ばれるという栄誉を得ました。



アジアでの奮闘

1941年12月8日太平洋戦争開戦時、ヒューストンはフィリピンのマニラに司令部を置くアジア艦隊の旗艦でした。ヒューストンはアジア艦隊を率いて日本軍の進攻をくい止めようとしたが、圧倒的に優勢な日本軍の進攻からフィリピンを守ることはできませんでした。

1942年1月、ヒューストンはアメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリアの4カ国の海軍で編成されたABDA艦隊に参加していました。2月4日、日本軍を迎え撃つべく出撃したものの、日本軍機の攻撃を受けて艦隊は後退し、ヒューストンも第3砲塔を損傷しました。

この損傷は、後の戦いでヒューストンが砲撃戦で不利となる原因となりました。ヒューストンは魚雷発射管を持たなかったため、主砲の損傷がそのまま戦闘力の低下につながったのでした。

この状態で参加した2月28日のスラバヤ沖海戦は、各国艦艇の連携の悪さもあり、ABDA艦隊の敗北に終わりました。海戦後、ジャワ島南東のバタビアに避難したヒューストンは、オーストラリアの軽巡バースと共に出港し、ジャワ島西方のスンダ海峡を通って脱出しようとしました。

その後、バタビア西方で上陸作戦中の日本軍の輸送船を発見したヒューストンは、これを攻撃しようとしたが、護衛の日本艦隊によって撃沈されました。ヒューストンは、日本軍上陸部隊を阻止できませんでしたが、最後まで戦ったその奮闘は高い評価を受けました。

ヒューストン(最終時)

基準排水量: 9,050d 全長: 183b 最大幅: 20.1b

機関出力: 107,000馬力 最大速力: 32.5ノット

航続距離: 15ノット時 10,000海里

主砲: 20.3a 3連装砲3基9門 

高角砲: 12.7a 単装砲8基  47_ 単装砲2基

搭載機: 水上偵察機4機


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posted by シン軍曹 at 15:52| アメリカ重巡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月08日

太平洋戦争時代の様々なウォーシップ「戦艦大和」

「戦艦大和」

 大和(やまと)は、大日本帝国海軍が建造した史上最大の戦艦、大和型戦艦の一番艦。「戦艦大和」と呼ばれることも多い。しばしば大艦巨砲主義の象徴とされる。

大和.jpg

 太平洋戦争(大東亜戦争)開戦直後の1941年12月に就役し、やがて連合艦隊旗艦となりました。この任は司令部設備に改良が施された同型艦 武蔵が就役(1942年8月)するまで継続されました。1945年4月7日、天一号作戦において米軍機動部隊の延べ1,000機以上の航空機による猛攻撃を受け(魚雷14本、大型爆弾3発、小型爆弾多数)、坊ノ岬沖で撃沈されました。

 当時の日本の最高技術を結集し建造され、戦艦として史上最大の排水量に史上最大の46cm主砲3基9門を備え、防御面でも重要区画(バイタルパート)では対46cm砲防御を施した、桁外れの戦艦です。建造期間の短縮、作業の高効率化を目指し採用されたブロック工法は大成功を納め、この大和型建造のための技術・効率的な生産管理は、戦後の日本工業の生産方式のもととなります。

 艦名「大和」は、旧国名の大和国に由来する。日本の中心地として日本の代名詞ともなっている大和を冠されたことに、本艦にかかった期待の度合いが見て取れます。(同様の名称として扶桑型戦艦がある)。正式な呼称は“軍艦大和”です。

 日本海軍が太平洋戦争初期のマレー沖海戦や真珠湾攻撃で、それまで海戦の主力であり国家の戦力の象徴でもあった戦艦を航空攻撃によって撃沈したことで、海戦における主力は戦艦から航空母艦とその艦載機を中心とした機動部隊に移っていきました。 大艦巨砲主義の精髄たる本艦は、そのような歴史の推移にあって、戦艦としては世界でトップレベルの戦闘能力を持ちながらそれを発揮する場がほとんど無いまま最期を迎えた「悲劇の軍艦」でした。

艦歴
計画 第三次海軍軍備補充計画 :起工 1937年11月4日 :進水 1940年8月8日 :就役 1941年12月16日 :その後 1945年4月7日沈没 :除籍 1945年8月31日

建造所 呉海軍工廠 :建造費 約137,802,000円 1936年3月 艦政本部試算

沈没位置 座標: 北緯30度43分17秒 東経128度04分00秒 / 北緯30.72139度 東経128.066667度 / 30.72139; 128.066667北緯30度22分17秒 東経128度04分00秒(沈没位置)
北緯30度43分 東経128度04分(現在位置)

性能諸元
排水量 基準 65,000トン:公試 69,000トン:満載 72,809トン

全長 263.0m :水線長 256.0m :全幅 38.9m :公試吃水 10.4m :主機関 ロ号艦本式缶12缶 艦本式タービン4基4軸 153,553馬力 :最大速力 27.46ノット(公試成績)
航続距離 16ノットで7,200海里(13,334km)

乗員 竣工時:2,500名:最終時:3,332名

兵装 
(新造時) 45口径46cm3連装砲塔 3基 :60口径15.5cm3連装砲塔 4基 :40口径12.7cm連装高角砲 6基 :25mm3連装機銃 8基 :13mm連装機銃 2基

兵装
(最終時) 45口径46cm3連装砲塔 3基 :60口径15.5cm3連装砲塔 2基 40口径12.7cm連装高角砲 12基 :25mm3連装機銃 52基 :25mm単装機銃 6基 
13mm連装機銃 2基

装甲 舷側 410mm :甲板 200mm〜230mm :主砲防盾 650mm :艦橋500mm  :搭載機 6機(カタパルト2基

*戦艦大和の模型

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*様々な海戦

 バタビア沖海戦: 1942年3月1日 日本軍のインドネシア侵攻作戦の総仕上げとなる海戦でした。ジャワ島西部で、日本軍の上陸船団を攻撃した連合軍の巡洋艦2隻を撃沈した日本海軍は、インドネシア周辺の制海権を得ました。

 ABDA艦隊の脱出: 1942年2月 日本軍は南方攻略作戦の総仕上げとして、インドネシアの攻略を開始した。インドネシアの油田こそが最大の目的であった日本は、是が非でもこの作戦を成功させなければなりませんでした。

 一方、すでにマレーとフィリピンを占領された連合国軍も、インドネシアだけは守り抜こうとしていた。特に、本国をドイツに占領され、インドネシアが最後の砦となったオランダ海軍は必死でした。

 連合軍はアメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリアの4カ国の軍艦でABDA艦隊を編成し、進行してくる日本軍を迎え撃ったが、各国間の連絡が上手くいかず、2月28日のスラバヤ沖海戦の敗北で崩壊しました。

 ABDA艦隊が崩壊した後、残存艦艇はそれぞれの本国に帰還しようとしました。比較的軽い損害で海戦を切り抜けたアメリカ重巡ヒューストンとオーストラリア軽巡パースは、バタビアに後退した後、同日夕方にバタビアを出港しインド洋へ脱出するため、ジャワ島西方のスンダ海峡へ向かいました。

 日本軍スンダ海峡封鎖: ヒューストンとパースがバタビアを出港した頃、日本陸軍はバタビア西方バンタム湾とメラク湾にも第16軍を上陸させようとしていました。このためスンダ海峡は、日本の重巡最上と三隈を主力とする原少将の上陸船団護衛部隊によって封鎖されていました。ヒューストンとパースは、この封鎖を知らずに進んでいったのです。

 3月1日午前0時9分に、東方から接近してくる敵の巡洋艦2隻を発見した吹雪は、味方に警報を発すると同時に追尾を開始しました。続いて0時18分には、護衛部隊旗艦の軽巡名取も敵艦隊を発見し、原少尉は直ちにバンタム湾護衛部隊の重巡2、軽巡1、駆逐艦7に集結を命じました。原少尉は上陸船団が戦闘に巻き込まれるのを防ぐため、駆逐艦部隊でバンタム湾からできるだけ離れた地点に敵を引き付けようと考えました。しかし、集結完了前に敵艦隊の船団攻撃が始まったのでした。

 バンダム湾の死闘: バンダム湾で揚陸作業中の日本軍船団を発見したヒューストンとパースは、攻撃を開始しました。揚陸作業中の船団は逃げることができない上、日本軍の護衛部隊もいないように見えたからでした。

 しかしこのとき、日本艦隊はすでに戦闘準備を整えていました。砲撃開始を見た駆逐艦春風は船団と敵艦との間に煙幕を張り、追尾していた吹雪は直ちに砲撃を開始しました。原少尉は駆逐艦部隊に突撃を命じ、さらに近くのメラク湾にいる護衛部隊からも駆逐艦2隻を呼び寄せました。

 日本の駆逐艦が次々に魚雷を発射し、ヒューストン、パースも回避しながら応射したため、湾内は混戦状態となったが、船団への攻撃は防がれました。しかも、駆逐艦部隊の魚雷は命中しませんでしたが、重巡部隊が到着するまでの間、敵をバンダム湾に引き付けておくことに成功したのです

 1時過ぎに戦列に加わった最上と三隈は、19分に雷撃、22分に砲撃を開始し、駆逐艦に気を取られていたヒューストンとパースに、多数の20.3センチ砲弾を命中させたのです。1時26分には、春風が火災を起こしたパースを雷撃、次いで27分、最上がヒューストンを雷撃したが、この雷撃は命中せず、反対側にいた味方船団に命中してしまいました。

 しかし、直後に旗風の雷撃と三隈の砲撃を受けたパースは航行不能となり、1時24分に沈没しました。残ったヒューストンは、孤軍奮闘したものの、最上と三隈の集中砲火で大火災を起こし、2時6分に敷波の雷撃を受け沈没しました。

 バタビア沖海戦は、船団への攻撃阻止、敵巡洋艦2隻撃沈という点では日本海軍の完勝でした。しかし、早期に発見しながら護衛部隊の集結に手間取り、敵の湾内侵入を許し、外れた魚雷が味方に命中した点など、多くの問題を残しています。

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posted by シン軍曹 at 19:34| 戦艦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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