2010年10月04日

太平洋戦争時代の様々なウォーシップ「駆逐艦、響」

*3度の損傷に耐えて戦い抜いた駆逐艦「響」

革新的な重武装駆逐艦として知られる吹雪型の1隻として建造された響は、太平洋戦争で数度の大損傷を受けたものの、その都度復活して終戦まで戦い抜いたのです。

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*軍縮条約が生んだ革新的駆逐艦

大正時代の日本海軍は、アメリカ海軍と対等に戦える戦力を保有するため、戦艦8隻、巡洋戦艦8隻を中心とした八八艦隊計画を推進していました。当時の日本の駆逐艦は、数を揃えるため大型の1等駆逐艦と小型の2等駆逐艦の二本立てとなっていました。

この状況を変えたのが、1922年のワシントン海軍軍縮条約でした。軍縮条約で戦艦の保有量をアメリカの6割に制限された日本海軍は、この差を巡洋艦や駆逐艦などの補助艦艇で補わなければならなくなり、駆逐艦の建造計画は大きく影響を受けました。

これまでの駆逐艦が、主に戦艦の護衛と敵駆逐艦の阻止を任務としていたのに対し、新しい駆逐艦は敵戦艦部隊を雷撃で撃沈することが要求されたのです。そこで生まれたのが、特型と呼ばれる吹雪型駆逐艦だったのです。

軽巡夕張の設計補佐、藤本喜久雄造船大佐がその経験を活かして設計した吹雪の特徴は、6門の主砲と9門の魚雷発射管という、従来より5割増の重武装を持ちつつ38ノットという高速を発揮できることだったのです。しかも主砲は全て連装砲塔で、魚雷発射管は中心線上に装備されていました。

この性能を従来の駆逐艦の3割増しの排水量1,680トンという小型の船体で実現したため、吹雪型は竣工当時初め世界の海軍に衝撃を与えたのです。



*露呈した欠点

吹雪型は24隻建造されたが、そのなかでも響を含む最後の4隻は、暁型として別の型に分類されることがあります。これは機関技術の進歩により、それまで4基必要だったボイラーを3基で済ませられるようになったことと、外見にも大きな変化が生じ、ボイラーが減った分、前部煙突が細くなったからです。

準新的駆逐艦として登場した吹雪型でしたが、小型の船体に重武装を装備するため、外板をを薄くして軽量化を図った結果、船体の強度が不足していました。この無理な軽量化の弊害が露呈したのが、1,935年の第4艦隊事件でした。演習中に台風に遭遇した第4艦隊の中で、吹雪型駆逐艦2隻が大波により艦首を切断される大損傷を受けたのです。

前年の水雷艇友鶴転覆事件とともに過剰兵装による復原力不足と船体強度不足が問題とされました。この事件を受け吹雪型駆逐艦では船体の補強のほか、復原力を補うため、艦橋の小型化や船底にバラストを搭載するなどの工事が行われました。

これらの性能改善工事によって吹雪型の排水量は増大し、速力は響で35ノットに、ほかの同型艦も34ノット程度にまで低下しました。


*損傷からの復活

1,933年3月31日に竣工した響は太平洋戦争開戦時、同型艦暁、雷、電と第6駆逐隊を編成していました。開戦後しばらくは船団護衛などを行っていましたが、1,942年6月にはアリューシャン作戦で、キスカ島の攻略に参加しています。

キスカ攻略作戦中の6月12日には、アメリカ軍機の奇襲で艦首が接断される被害をうけました。これが3度に渡る響の被害のはじまりでした。

その後1,943年4月に修理を終えて艦隊に復帰した響は、7月にキスカ撤収作戦に臨みました。響はキスカ島の攻略と撤収の両方に参加することになったのです。

キスカ撤収作戦後は船団護衛や輸送作戦に従事していた響でしたが、この間に次々と同型の僚艦を失いました。1,942年11月の第3次ソロモン海戦で暁が沈められたのをはじめ、1,944年4月には雷が、5月には電がアメリカ潜水艦に撃沈されたのです。

このため第6駆逐隊は、響1隻となって解隊されたのです。しかし響は沈みませんでした。1,944年9月には潜水艦の魚雷が命中し、艦首が折れ曲がる損害を受け修理が完了してすぐの1,945年3月には、機雷に触れて航行不能となりましたが不死鳥のように蘇って戦い続け、8月15日の終戦時にも行動可能な状態で生き残っていたのです。

終戦時の響は復員輸送に従事した後、戦時賠償として1,947年7月5日にソ連に引き渡されました。その後ソ連海軍で使用され、1,963年に解体されたといわれます。響は実に竣工から30年もの長い間を生き抜いたのです。


*駆逐艦、響データ(終戦時)

基準排水量  2,090トン
全長     118メートル
最大幅    10.4メートル
機関出力   50,000馬力
最大速力   35ノット
航続距離   14ノットで5,000海里
主砲     12.7センチ連装砲2基4門
対空機銃   25ミリ3連装機銃4基、連装1基
       単装14基、計28挺
魚雷発射管  61センチ3連装3基、魚雷15本
爆雷     連装投射機1基、爆雷36発



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2010年07月06日

太平洋戦争時代の様々なウォーシップ「駆逐艦夕立」

「駆逐艦夕立」

ロンドン海軍軍縮条約の制限下で建造された白露型駆逐艦の4番艦です。1942年11月第3次ソロモン海戦に参加した夕立は、単独でアメリカ艦隊に突撃し、敵を混乱させたことで知られています。

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*軍縮条約下の駆逐艦建造

1930年のロンドン海軍軍縮条約は、日本海軍の駆逐艦建造に多大な影響を与えました。1922年ワシントン海軍軍縮条約で戦艦の保有量をアメリカの6割に制限されていた日本は、さらにロンドン条約で、戦艦の不足分を補うべき巡洋艦と駆逐艦の保有量及び排水量も制限されてしましました。

日本海軍はこれを受けて、小型の船体に重武装を施した初春型駆逐艦12隻の建造を計画しました。しかし初春型は、完成直後から復元性に問題が発生したのです。

1934年水雷艇夕鶴の転覆事故により、日本海軍は初春型の建造を6隻で打ち切り、残りは設計を改めまったく別の駆逐艦として建造することにしたのです。それが白露型でした。


*白露型の建造

日本海軍はロンドン条約明けを見越して、白露型を新設計の大型駆逐艦として建造することも可能でした。しかしすでに機関などの機材は初春型タイプとして建造が始められていたため、その改良型の小型駆逐艦として建造されることになったのです。

復元性もさることながら、白露型と初春型の最大の違いは、魚雷兵装です。初春型が3連装発射管を使用し、8門以上装備するには3基装備する必要があったのに対し、白露型は4連装発射管のため、2基の搭載で済みました。この後、日本の駆逐艦は4連装発射管2基が標準装備となりました。

こうして白露型の建造が開始されたが、その直後に船体強度に問題があることが判明し、さらに船体強度を補強する改造が追加されました。白露型は機関が初春型と同じだったため、速力は34ノットという性能に留まったが、初春型で生じた不具合を解消した駆逐艦となりました。


*第3次ソロモン海戦での活躍

1937年1月7日佐世保海軍工廠で完成した夕立は、太平洋戦争海戦前に魚雷を酸素魚雷に改めました。第4水雷戦隊に所属して1942年3月のスラバヤ沖海戦に参加し、続いてインド洋などで作戦を遂行した後、8月からはソロモン方面で行動していました。

9月4日にガダルカナル島への兵員輸送を行っていた夕立は、味方駆逐艦2隻と共に揚陸作戦に加わり、終了後にアメリカ軍飛行場を砲撃し、さらに駆逐艦を改造した高速輸送船2隻を発見して、これを撃沈しました。この続けざまの戦果は、勇猛果敢で知られる夕立艦長吉川潔中佐ならではのものでした。

こうしてガダルカナル島への輸送作戦を6回遂行した夕立は、11月12日、ガダルカナル島を砲撃しようとする日本戦艦部隊の護衛として前方警戒を行っていました。この時、日本戦艦の接近を察知したアメリカ海軍は、艦隊を出撃させて待ち構えていたのです。

日米両艦隊は深夜の狭い海域で激しい戦闘を行ったが、最初にアメリカ艦隊を発見した夕立は、味方に報告すると同時に単独で突撃し、相手に混乱を生じさせました。そればかりでなく、アメリカ軽巡アトランタを撃沈し、さらに駆逐艦を1隻撃沈、2隻撃破の大戦果を挙げたのです。

夕立の突撃で不意をつかれたところに本体の攻撃を受け、混乱しきったまま戦うことになったアメリカ艦隊は、結局、巡洋艦2隻、駆逐艦4隻を失うこととなりました。アメリカ艦隊に大きなダメージを与えた夕立だったが、この戦闘によって航行不能となり、やむなく吉川艦長は総員退艦を命じ、乗員が駆逐艦五月雨に移乗した後に沈没しました。

しかしこの海戦の殊勲艦は夕立であり、駆逐艦の夜戦でその真髄を発揮したのです。


夕立(新造時)データ

基準排水量 1,685トン
全長     110メートル
最大幅    9.9メートル
機関出力  42,000馬力
最大速力  34ノット
航続距離  18ノット時4,000海里
主砲     12.7センチ連装砲2基、単装砲1基、計5問
対空機銃  40ミリ単装機銃2基
魚雷発射管 61センチ4連2基、魚雷16本
        投下台2基、爆雷36発


*太平洋戦争関連DVD



「NHKは何を伝えてきたか」シリーズ第3弾!
NHK特集・NHKスペシャルの名作をDVDでリリースする「NHKは何を伝えてきたか」シリーズ。
「ドキュメント太平洋戦争」は、その完成度とインパクトの強さからシリーズをめぐって様々な意見が寄せられ、単に50年前の戦場での問題ということを越えて、今日の私たち日本人に多くのことを問いかけた。インパール作戦の裏でどの様なことがあったのか追った「第4集 責任なき戦場」は、文化庁芸術作品賞を受賞し、改めて内外からの評価の高さを示した。




内容(「キネマ旬報社」データベースより)
日本の真珠湾攻撃から始まった太平洋戦争を、アメリカ軍が撮影した貴重な映像で綴る戦争ドキュメンタリーのBOX。1941年12月8日の開戦から4年に渡る太平洋戦争史を、「太陽の帝国」「硫黄島に立てた星条旗」ほか、13のエピソードで紐解いていく。
内容(「Oricon」データベースより)
真珠湾攻撃から硫黄島、そして沖縄戦まで13の激戦をアメリカ軍が撮影した映像で綴るドキュメンタリー作品。

posted by シン軍曹 at 21:36| Comment(1) | TrackBack(0) | 駆逐艦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月27日

太平洋戦争時代の様々なウォーシップ「防空駆逐艦秋月」

「新造防空駆逐艦秋月」

世界で初めて建造された空母部隊直衛用の防空駆逐艦です。新型高角砲を装備した秋月は実戦で使用され、連合国軍の航空部隊から要注意の艦としてマークされました。

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*空母を守る駆逐艦

1930年代に入って航空機が発達するにつれ、各国海軍では敵の航空攻撃から戦艦や空母などの主力艦をいかにして守るか大きな問題となり、対空火力の増強がなされてきました。

特に空母は、広い飛行甲板に爆弾が1発命中しただけで、艦載機の発着ができなくなる危険があるため、敵機に対する対策は重要だったのです。ここから生まれたのが、空母部隊直衛用に専用の防空艦を建造するという構想だったのです。

当初は旧式巡洋艦を改造して高角砲を多数搭載し、防空巡洋艦とする計画もありましたが、新規設計の駆逐艦のほうが効率的だと考えられ、新規建造となったのです。防空巡洋艦を建造することも検討されましたが、建造費の点から見送られ、駆逐艦の数を多くすることになりました。

こうして第四次海軍軍備充実計画で建造されたのが、秋月型駆逐艦なのです。秋月型は日本海軍初の本格的な防空駆逐艦でもありました。


*高性能高射砲

秋月は当初、空母部隊の直衛用として対空戦闘を主目的とし、魚雷発射管を持たない設計とされていました。艦政本部の当初の要求は、速力35ノット、航続距離18ノットで10,000海里となっていたため、駆逐艦とはいえ4,000トン近い設計となりました。

当然、建造費もかさむことになり、数を揃えることができないため、速力と航続距離の要求が緩和されました。こうして秋月は、連装4基8門の新型高角砲を装備した強力な防空駆逐艦として建造されることになりましたが、通常の駆逐艦としても使いたいという要求が出たため、魚雷発射管も装備されることになり、結局2,700トンの大型駆逐艦として誕生したのです。

秋月型の目玉は、新規に開発された九八式10センチ連装高角砲の装備です。この高角砲は、長10センチ砲とも呼ばれ、これまでの12.7センチ砲が40口径だったのに対し、65口径と砲身が長く、最大射程距離、射高ともに、これまでの高角砲を大きく上回っていました。

九八式10センチ高角砲の最大射高は、14,700メートルに達し、最大射程距離19,500メートル、発射速度は毎分19発の性能を持っていました。この性能は第2次世界大戦中の各国高角砲のなかでもトップクラスであり、特に射程距離と射高は世界最高だったといっていいでしょう。

しかし、この高角砲を指揮する高射装置を前後部に装備する予定のところを、実際には艦橋上の1基しか装備しなかったために、本領発揮できなかったといわれています。


*侮れない防空艦

新しく編成した空母機動部隊の護衛艦となるべく秋月が竣工したのは、ミッドウエイ海戦直後の1942年6月13日でした。竣工した秋月は訓練航海を終えると早速、激戦が続いていたソロモン諸島に送られ、再編された空母部隊の第3艦隊に配備されました。

9月29日には泊地で爆撃を受けたが無事に回避し、1機を撃墜しています。この時に撮影された写真を解析したアメリカ軍は、秋月が侮れない防空艦だと判断し、航空部隊に警報を発したといわれています。

1943年1月18日、秋月は潜水艦の雷撃を受けたが、沈没をまぬがれて、内地に向かいました。しかし、その途中でキールが折れてしまい、サイパンで艦橋を含む船体前部を切り離し、応急処置を施して後部だけで帰投しました。

三菱長崎造船所で、建造中だった同型艦霜月の艦首を結合し、併せて機銃の増強とレーダーの装備を行った秋月は、再び空母の護衛艦として任務についたが、1944年6月のマリアナ沖海戦で、護衛していた空母大鳳を潜水艦に沈められてしまいました。

秋月はその後さらに機銃を増強し、1944年10月のレイテ沖海戦で空母瑞鶴を護衛しました。一説に、この海戦で対空戦闘中に魚雷発射管に爆弾を受け、誘爆によって沈没したとされています。

それが事実なら、計画時に追加された魚雷発射管が仇となったことになります。太平洋戦争半ばから空母部隊を守った秋月は、空母直衛用の防空艦という先進的な構想から生まれた駆逐艦としてその名を残しています。

*秋月(最終時)データ

基準排水量 2,701トン
全長     134.2メートル
最大幅    11.6メートル
機関出力  52,000馬力
最大速力  33ノット
航続距離  18ノットで8,000海里
主砲     長10センチ連装高角砲4基8門
対空機銃  25ミリ3連装機銃5基、単装7基
        計22挺(他に単装据付座7基)
魚雷発射管 61センチ4連装1基 魚雷8本
爆雷     投射機2基、投下軌条2基 爆雷54発


*様々な艦船模型







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ラベル:防空駆逐艦 秋月
posted by シン軍曹 at 09:05| 駆逐艦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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