2010年07月16日

太平洋戦争時代の様々なウォーシップ「アメリカ空母サラトガ」

「空母サラトガ」

アメリカ海軍が初めて保有した近代空母です。ワシントン海軍軍縮条約の影響で巡洋艦から空母に生まれ変わったサラトガは、第2次世界大戦前における世界最大の空母でした。

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*巡洋艦から大型空母に

1922年に締結されたワシントン海軍軍縮条約は、アメリカ海軍の空母建造に大きな影響を与えました。条約により建造中の戦艦は全て廃棄されることとなりましたが、そのうちの2隻を空母として保有することが許可されたうえに、空母の排水制限は27,000トンだったにもかかわらず、特例として33,000トンまで認められたのです。

アメリカ海軍は条約に従い、建造中だったレキシントン級巡洋戦艦のうち、レキシントンとサラトガの2隻を空母として完成させることにしました。レキシントン級巡洋戦艦は、40.6センチ砲8門を装備する40,000トン以上の巨体を持ち、16基のボイラーを持つ180,000馬力のターボ電気推進機関により、34ノットの速度が出せました。大きな馬力を持っていたため煙突は巨大で、これがレキシントン級の特徴となっています。

1927年11月16日に完成したサラトガは、僚艦レキシントンとともにアメリカ空母部隊の主力となりました。当時、世界最大の空母だったレキシントン級は、日本の赤城、加賀とともに世界の4大空母と呼ばれました。

サラトガは一段全通式飛行甲板の右舷中央部に煙突と艦橋があり、飛行甲板前端まで船体外板が続くという形態を持っていました。赤城、加賀やイギリスのカレイジャス級が多段飛行甲板であったのに比べると、非常に進んだ設計です。


*戦時中の改造と不本意な戦績

サラトガは1941年に太平洋戦争が始まるまで、対空機銃を若干追加装備した以外ほとんど改造を受けませんでした。しかし開戦直後1942年1月11日、ハワイ沖で日本の潜水艦、伊6の魚雷を受けて損傷したのを機に、思い切った改造を行うこととなりました。

飛行甲板前部は、船体の形に沿って艦首方向に狭くなっており、実用性に難があったので、前端まで幅の広い形に改められました。また、使用する機会がないと判断された20・3センチ連装砲は、12.7センチ連装高角砲と換装されました。他にも12.7センチ高角砲8門、40ミリ4連装機銃9基、20ミリ単装機銃30基が装備され、対空兵装が飛躍的に増強されたのです。

このために、5月の珊瑚海海戦と6月のミッドウェイ海戦に参加できなかったサラトガは、8月になってソロモン方面の出動したものの、第2次ソロモン海戦直後の31日には、またしても日本の潜水艦、伊26の魚雷を受けてしまいました。しかもこの時には、電気回路がショートしたため、一時的に航行不能となっています。

こうして再び修理をすることになったサラトガは、アメリカ海軍が苦戦した1942年の大半を、修理のためにドッグ内で過ごしました。サラトガが修理を終えて戦列に復帰したころには、新型空母エセックス級が続々と完成し始めていたのです。


*原爆実験の標的艦

修理を終えたサラトガは、当初こそ主力空母として活動したが、エセックス級の数が揃い始めるとインド洋に回され、イギリス東洋艦隊とともに行動しました。一時、アメリカ本土で練習空母となったが、その後夜間航空隊専用の実戦空母として、1945年2月の硫黄島攻略作戦に参加しています。

この作戦が、サラトガの最後の戦いとなりました。2月21日夕方、日本軍の特攻機に突入されて大破したサラトガは、修理された後にも戦列に戻ることはなく、再び練習空母となりました。そして戦後間もなく最後を迎えたのです。

1946年にビキニ環礁で行われた原爆実験で、サラトガは日本の戦艦長門などとともに標的艦として使用され、7月1日の空中爆発実験では大きな被害を受けなかったものの、25日の水中爆発実験で大破して沈没しました。

サラトガは太平洋では、目立った活躍をすることができませんでしたが、アメリカ近代空母の設計の基本は、レキシントンとサラトガによって確立されたのです。


*サラトガ最終時データ

基準排水量 36,000トン
全長     277.2メートル
最大幅    39.7メートル
機関出力  180,000馬力
最大速力  32ノット
航続距離  15ノット時9,500海里
搭載機    固有搭載機無し、硫黄島攻略作戦時、戦闘機57機、雷撃機18機
高角砲    12.7センチ連装高角砲4基、単装4基、計12門
対空機銃  40ミリ4連装機銃23基、連装2基、計96挺、20ミリ単装機銃16基


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2010年07月06日

太平洋戦争時代の様々なウォーシップ「駆逐艦夕立」

「駆逐艦夕立」

ロンドン海軍軍縮条約の制限下で建造された白露型駆逐艦の4番艦です。1942年11月第3次ソロモン海戦に参加した夕立は、単独でアメリカ艦隊に突撃し、敵を混乱させたことで知られています。

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*軍縮条約下の駆逐艦建造

1930年のロンドン海軍軍縮条約は、日本海軍の駆逐艦建造に多大な影響を与えました。1922年ワシントン海軍軍縮条約で戦艦の保有量をアメリカの6割に制限されていた日本は、さらにロンドン条約で、戦艦の不足分を補うべき巡洋艦と駆逐艦の保有量及び排水量も制限されてしましました。

日本海軍はこれを受けて、小型の船体に重武装を施した初春型駆逐艦12隻の建造を計画しました。しかし初春型は、完成直後から復元性に問題が発生したのです。

1934年水雷艇夕鶴の転覆事故により、日本海軍は初春型の建造を6隻で打ち切り、残りは設計を改めまったく別の駆逐艦として建造することにしたのです。それが白露型でした。


*白露型の建造

日本海軍はロンドン条約明けを見越して、白露型を新設計の大型駆逐艦として建造することも可能でした。しかしすでに機関などの機材は初春型タイプとして建造が始められていたため、その改良型の小型駆逐艦として建造されることになったのです。

復元性もさることながら、白露型と初春型の最大の違いは、魚雷兵装です。初春型が3連装発射管を使用し、8門以上装備するには3基装備する必要があったのに対し、白露型は4連装発射管のため、2基の搭載で済みました。この後、日本の駆逐艦は4連装発射管2基が標準装備となりました。

こうして白露型の建造が開始されたが、その直後に船体強度に問題があることが判明し、さらに船体強度を補強する改造が追加されました。白露型は機関が初春型と同じだったため、速力は34ノットという性能に留まったが、初春型で生じた不具合を解消した駆逐艦となりました。


*第3次ソロモン海戦での活躍

1937年1月7日佐世保海軍工廠で完成した夕立は、太平洋戦争海戦前に魚雷を酸素魚雷に改めました。第4水雷戦隊に所属して1942年3月のスラバヤ沖海戦に参加し、続いてインド洋などで作戦を遂行した後、8月からはソロモン方面で行動していました。

9月4日にガダルカナル島への兵員輸送を行っていた夕立は、味方駆逐艦2隻と共に揚陸作戦に加わり、終了後にアメリカ軍飛行場を砲撃し、さらに駆逐艦を改造した高速輸送船2隻を発見して、これを撃沈しました。この続けざまの戦果は、勇猛果敢で知られる夕立艦長吉川潔中佐ならではのものでした。

こうしてガダルカナル島への輸送作戦を6回遂行した夕立は、11月12日、ガダルカナル島を砲撃しようとする日本戦艦部隊の護衛として前方警戒を行っていました。この時、日本戦艦の接近を察知したアメリカ海軍は、艦隊を出撃させて待ち構えていたのです。

日米両艦隊は深夜の狭い海域で激しい戦闘を行ったが、最初にアメリカ艦隊を発見した夕立は、味方に報告すると同時に単独で突撃し、相手に混乱を生じさせました。そればかりでなく、アメリカ軽巡アトランタを撃沈し、さらに駆逐艦を1隻撃沈、2隻撃破の大戦果を挙げたのです。

夕立の突撃で不意をつかれたところに本体の攻撃を受け、混乱しきったまま戦うことになったアメリカ艦隊は、結局、巡洋艦2隻、駆逐艦4隻を失うこととなりました。アメリカ艦隊に大きなダメージを与えた夕立だったが、この戦闘によって航行不能となり、やむなく吉川艦長は総員退艦を命じ、乗員が駆逐艦五月雨に移乗した後に沈没しました。

しかしこの海戦の殊勲艦は夕立であり、駆逐艦の夜戦でその真髄を発揮したのです。


夕立(新造時)データ

基準排水量 1,685トン
全長     110メートル
最大幅    9.9メートル
機関出力  42,000馬力
最大速力  34ノット
航続距離  18ノット時4,000海里
主砲     12.7センチ連装砲2基、単装砲1基、計5問
対空機銃  40ミリ単装機銃2基
魚雷発射管 61センチ4連2基、魚雷16本
        投下台2基、爆雷36発


*太平洋戦争関連DVD



「NHKは何を伝えてきたか」シリーズ第3弾!
NHK特集・NHKスペシャルの名作をDVDでリリースする「NHKは何を伝えてきたか」シリーズ。
「ドキュメント太平洋戦争」は、その完成度とインパクトの強さからシリーズをめぐって様々な意見が寄せられ、単に50年前の戦場での問題ということを越えて、今日の私たち日本人に多くのことを問いかけた。インパール作戦の裏でどの様なことがあったのか追った「第4集 責任なき戦場」は、文化庁芸術作品賞を受賞し、改めて内外からの評価の高さを示した。




内容(「キネマ旬報社」データベースより)
日本の真珠湾攻撃から始まった太平洋戦争を、アメリカ軍が撮影した貴重な映像で綴る戦争ドキュメンタリーのBOX。1941年12月8日の開戦から4年に渡る太平洋戦争史を、「太陽の帝国」「硫黄島に立てた星条旗」ほか、13のエピソードで紐解いていく。
内容(「Oricon」データベースより)
真珠湾攻撃から硫黄島、そして沖縄戦まで13の激戦をアメリカ軍が撮影した映像で綴るドキュメンタリー作品。

posted by シン軍曹 at 21:36| Comment(1) | TrackBack(0) | 駆逐艦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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